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2018.03.28 22:28
自分たちで考える慶応義塾のエンジョイ・ベースボール
Keioといえばスマートでお洒落なイメージだ。慶應義塾高校の野球部員に当てはめれば、髪の毛が高校球児のトレードマークとも言える丸刈ではない。丸刈がおしゃれではないと言っているわけではないが、慶応は洗練されて都会的だ。
創部が1888(明治21)年で1916年の第2回夏の選手権では前身の慶応普通部が優勝している。そのときも丸刈であったかどうかは定かではないが。
慶応との相手、彦根東も歴史を辿ると藩校に行き着く。こちらの創部は1894年で古い歴史を持つ伝統校同士の対決だった。
5回まで慶応の生井惇己と彦根東の増居翔太との投げ合い。
彦根東が6回に先制すると慶応が7回裏に反撃する。四球、安打、四球の無死満塁から8番のキャッチャー、善波力が高めのストレートを上から叩いて、センター前にライナーではじき返す。2者が返って逆転した。
善波は「1、2打席はチャンスで凡退していたので、3打席目はバットを短く持って、たたくイメージで真っすぐを狙いました。味方の応援が聞こえなくなるほど集中して臨めた」とタイムリーを喜んだ。
しかし、すぐに反撃に会う。8回表、3番に3塁打、5番に四球。ここで「まさか、3ランとは思わなかった」(森林貴彦監督)と言う逆転のホームランをレフトポール際に浴びてしまう。8回に5番、奥村拓馬のツーべースで1点を返すが、そのまま4対3。アルプススタンドも埋まって、緊迫したナイスゲームだった。
「甲子園で勝つには、打つ守る投げることがそれぞれ、まだ足りなかったと痛感させられた試合でした。球速以上に質のいい増居君のストレートでした」と森林監督が敗因を語った。
彦根東の増居は去年の夏も2年生エースとして出場し、開幕戦で波佐見打線を抑えて1勝を挙げている好投手。
下山悠介主将は「初回、1打席目の変化球でタイミングを外された。それを意識し過ぎてカウント球のストレートにも手が出なかった。左打者へのスライダーがキレていた」と相手を称えた。
下山が続ける。
「秋は接戦ばかりでいつも通りの展開。こういう試合を楽しんでやっていこうという思いはあったんですけど、力不足でした」
モットーのエンジョイ・ベースボールはできたのだろうか。
「応援席も含めて、熱気があって、こういう舞台でやれるのは野球人にとって最高の楽しさ。甲子園を味合わせてもらいました」と森林監督。
外野手の石田新之介(慶応中等部軟式出身)は「最後まで粘り強さは出せた。慶応は中等部のころから押し付けのない、自分たちやりたい野球をやらせてもらえている」という。
善波も「自分たちの考える野球はできた。慶応には勉強も野球も高いレベルでやれると思って選んだ」という。善波の父は現明大野球部監督の達也氏。父の後を追って、明大の付属校に行かずに慶応に進学した意味もその辺りにありそうだ。
エンジョイとは自ら率先して取り組んで、考えて楽しむと言うことでもある。
「配球のサインはベンチから出してません。直接対戦している彼らの感覚を信じている。最終的な責任は監督だから、自分たちで頭を働かせてやりなさいと。考える野球はできてたと思います」
森林監督がバッテリーのエンジョイについて話してくれた。
次は赤松部長の感想。
「接戦になったときこれは我々のペースだと、動じることがなかった。冷静に気づいて、自分たちで感じることができていた」
これは夏も、その先も生きてくることだ。
森林監督は高校では内野手だったが、大学では学生コーチ。一般企業に勤務した後、指導者になりたいと退職した。筑波大学の大学院でコーチング論を学んだ後、慶応幼稚舎で小学生教師をしながら慶応高校のコーチ、助監督を経て、2015年8月に監督に就任した。
小学生を教えながらの監督業の大変さは、幼稚舎の校舎からちょっと離れたグラウンドへの移動と、平日の練習に最初から参加できないこと、だそうだ。13人の学生コーチらスタッフに助けられて両立をさせている。
赤松部長によると、「関西に入る前日は幼稚舎の生徒に通信簿を渡してきています。一日の中で小学生と高校生を両方見るのは貴重な経験みたいですよ(笑)。監督の時間も単純に足りないと思います。練習に出られない日もある。練習が終わっても、学生コーチと9時、10時までミーティングをしてることもあります」と言う日々だそうだ。
アルプススタンドで小学生たちが応援していましたよ、と問われた。
「普段から応援してもらって、甲子園まできてくれて。高校の試合で授業も休んで迷惑もかけてるんで、勝利を届けたかったんですが」
ちょっと残念に笑った。
(文・清水岳志)