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【最終学年に飛躍を誓う甲子園のエースたち②】 今井重太朗(三重高→中部大)

愛知大学リーグの強豪・中部大でプレーし通算15勝を挙げている今井


★甲子園での814球

2014年夏の甲子園で、準優勝に輝いた三重高。6試合全てで先発したのが左腕エース・今井重太朗(現・中部大3年)だ。

「甲子園でやった(プレーした)な、っていう所々の記憶はあります。一塁側から入場すると、レフトポールぐらいの風景がまずパッと見える。うわ、いっぱい人がいる、すごいなって思いました。試合で変に力むことはなかったです。やることをやっていれば、という感じ。試合を重ねるごとに良くなっていきました」

今井が高校最後の夏を振り返るとき、随所で「うまいこといって…」という言葉が口を突く。三重大会準々決勝では初回に6失点したが、打線が奮起して逆転。同準決勝では同級生投手が打たれ苦戦を強いられたが、降雨ノーゲームで命拾いした。運や打線も味方した。

「甲子園初戦の広陵戦も奇跡的な勝ち方。何か“もって”いましたね、あの大会では。うまいこと、はまりました」

肝は低目のスライダー。特別精緻な制球力をもつタイプではないが、見事に打者に振らせた。

「腕の振りがだいたい一緒なら、ホームベースぐらいでワンバウンドする球を打者が振ってくれました。相手打者に助けてもらいました。大学では、ないことですけど…」

技術面での裏打ちはあった。フォームで左手の使い方を微修正し、下半身主導の投げ方を試みた。三重高・中村好治監督(現在は総監督)は「春から取り組んできたコンパクトなフォームへの改良が、甲子園までに間に合いました。コントロールが向上し、体への負担も減りました」と言う。もともと本人、ラン中心の練習メニューで体力に自信はあった。相手打者に合わせて投球のメリハリもつけた。

灼熱の甲子園で814球を投げたが、振り返る顔はどこか涼しげでもある。

★大学ラストイヤーに求められる自己変革

大学は、出身地・愛知県にある中部大に進んだ。高校2年秋ごろから、中部大の堀田崇夫監督がその素材に着目し、熱心なアプローチをかけていたからだ。

大学では1年春からリーグ戦で登板した。ストレートの球速は130キロ台半ばで、驚くほどの球種はない。しかしマウンドで勝負強さを発揮する。毎シーズン白星を挙げ、ここまで通算15勝。2年秋は左ヒジ痛に悩んだが、3年春はリーグ優勝に貢献した。大学選手権でも先発で好投している。

「こう投げたら強いボールがいく、と感覚的に分かるようになってきました。甲子園の経験があったので、大学選手権はスムーズに入れました。神宮はすごくいい場所だった。もう一度行きたい思いが強くなっています」(今井)

堀田監督が挙げる転機の一つが、3年春のオープン戦だ。不安定でピリッとしない内容が続き、指揮官から今井やチーム全体にこんな注意が飛んだ。

「その投球をあと2年やって、その先何になる? 四球ばかりで守りにくい、リズムもない。0点のときも、たまたま抑えているだけ。周囲も『いつもの重太朗だから、仕方ない』で許してしまうのはやめよう。みんなで許し合っているようでは甘い」(堀田監督)

堀田監督は、今井に内面での成長を求めている。

「自然児っぽく振る舞うというか、性格面でムラがある。まだまだ幼いという評価が高校時代からあった。もちろん、真面目すぎるのもダメなんですが。大学で上級生となれば、自由にやるだけではなく、価値ある存在にならなければいけない。将来のためにも、雑とか横着ではなく、自己管理や危機管理など、何か変わっていかなければと最近話しているところです」(同)

最終学年を前に、今井は投手キャプテンを任された。「僕自身がしっかりして、引っ張っていきたい」と今井が言えば、堀田監督は「ちょっとずつ大人になろうとしている。チームに対し、『おれを見てみろ』と言えるような姿勢になるかどうか。そこの成長をこの1年、見たいと思います」。

もう一段の自己変革ができたとき、甲子園準V左腕に新たな視界が開かれる。

今井重太朗(いまい・しげたろう)・・・1996年生まれ、愛知県豊田市出身。投手。左投左打。猿投台中では豊田リトルシニアでプレー。三重高では2年夏、3年春夏の3季甲子園に出場し、最後の夏は6試合で814球を投げ準優勝に輝いた。中部大では1年春からリーグ戦で登板し、3年間で通算15勝6敗。3年春は大学選手権で先発した。高校時代の上級生・若林優斗(中京大4年/社会人野球・王子入社予定)や、中部大の奥村孝一コーチ(元王子)ら先輩サウスポーが手本となる存在だという。

文・写真=尾関雄一朗

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