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大学野球

宮城竹千代(朝日大4年)土曜は全身タイツ、でも日曜は先発です~岐阜の大学球界を盛り上げたパフォーマンス男~


楽器や変装などで朝日大の応援スタンドから球場を盛り上げた宮城(写真:本人提供)


カラフルなタイツを身にまとって踊り、ギターやオカリナを演奏する…。大学野球の岐阜学生リーグを、一風変わった応援で盛り上げた男がいる。

朝日大の野球部員・宮城竹千代(4年)だ。リーグ戦でベンチ入りを外れた下級生時代から、球場の応援スタンドでパフォーマンスを繰り出した。一度見たら忘れられない、インパクトある“芸”が持ち味。東海地区の熱心なアマチュア野球ファンにはお馴染みである。

レパートリーは多彩だ。ピンクや金色の全身タイツを着て、ダンスナンバー『サンバ・デ・ジャネイロ』を歌いながら踊ったり、タレント「サンシャイン池崎」のパロディをしたり。ギター、三線(さんしん)、オカリナ、リコーダーなど楽器も次々取り入れた。周りの朝日大の控え部員たちも宮城に調子を合わせる。竹千代ショーは観衆の視線を集め、笑いを生んだ。

球場を盛り上げたい一心でパフォーマンスを始めた。岐阜学生リーグをはじめ地方の大学野球は、東京六大学のような華やかさはないが、コアなファンは球場に足を運ぶし、観衆は多くないから何かやれば目を引く。

「リーグ戦を見にきてくれた人にとって、どこにでもあるような応援だけではつまらないかなと思って。与えられたポジションで出来ることをしたかった。手を抜いたことはありません」(宮城)。

SNSなどを通じ、評判はリーグ内外に広まった。リーグの名物になった。

「遠くは東京や北海道の野球ファンの方が、試合はもちろん応援も期待して見に来てくれた。球場近くのテニス部の方が親子連れで来てくれたりもした。SNSのメッセージや球場の通路などで、いろいろな人が『朝日大はおもしろいね』と言ってくださり、嬉しかったです」

派手なパフォーマンスには当初「ふざけているのでは」という否定的な声もあがった。たしかに、初めて見ると違和感はあるかもしれない。ただ、竹千代タイムは限定的で、5回裏終了後のグラウンド整備の幕間(まくあい)と、直後の味方の攻撃時ぐらい。相手をけなすこともない。二度、三度と見るうち、その登場が待ち遠しくなる中毒性がある。彼自身が全力だからだ。やがて批判的な見方も消えていった。

パフォーマンスは派手だが、野球にはコツコツ取り組み、4年春は先発で好投した(写真提供:yu-i)

そして、宮城のスゴイところは“本業”の野球でも結果を出したことだ。部員数100人を超える朝日大で、投手として3年秋からベンチ入り。土曜日は全身タイツでも、日曜日は背番号11のユニフォームで先発マウンドに上がった。

「同級生のエース・畑中(希龍・4年/社会人野球・JR九州入社予定)にアドバイスをもらったり、自分で考えながら取り組んだのが実になった。(先発起用に)自分も周囲もびっくりでした」

岐阜学生リーグでは近年、ドラフト候補を何人も輩出する中部学院大や、昨年全国制覇した中京学院大などの台頭が著しいが、全国大会出場回数は朝日大がリーグ最多。そのマウンドを預かる意地を見せた。球速も139キロまで上がった。

宮城は大学卒業後、教員を志望している。幼い頃からの夢だ。この秋は地元・沖縄で教育実習も積んだ。

「父が珠算教室でソロバンを教えているので、自分も幼い頃から4ケタ同士の掛け算などは暗算でできました。小学校時代、勉強が苦手な友達に自分が教えていると、その友達とかから『竹千代が先生ならいいのに。学校が絶対楽しくなるはず』と言われて…。また、父が教えている珠算教室の生徒さんが大会で日本一になるのを見て、自分も教育に携わりたい思いが強くなりました」

スタンドでの様子から分かる明るさと、純粋で真っすぐな姿勢が人を惹きつける。

球場のスタンドから、次なるステージとして教壇を目指す。自身がパロディをしたサンシャイン池崎のセリフではないが、生徒を愛し、生徒に愛される先生になってくれそうだ。

明るく真っすぐな性格で卒業後は教員を目指す(写真:尾関雄一朗)


★宮城竹千代(みやぎ・たけちよ)/1995年生まれ、沖縄県浦添市出身。投手。首里高では2年春からベンチ入りし、3年夏は先発を務めたが初戦敗退。兄・三四郎さんがいた朝日大野球部に進み、4年春を中心にリーグ戦通算6試合に登板。今秋西武にドラフト指名された岐阜経済大のエース・與座海人とは小学校入学前から仲が良い。宮城の父・睦也さんが教える珠算教室に、與座が通っていたことによる。

文=尾関雄一朗