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高校野球

あの人は今・2012年夏の甲子園・ツイッターを沸かせた〝メガネ青井〟の今

甲子園を沸かせた〝メガネ青井〟が
ファンを夢中にさせたあの夏を振り返る

「僕の話を聞いてもおもしろくないと思いますよ」
 電話越しにその言葉を聞いた瞬間、初めて言葉を交わした人とは思えない親近感が湧き上がった。その人物、青井雄太は5年前の夏、試合前にNHKの取材にこう語ったとされていた。
「僕の出番はないと思いますよ」
 甲子園に初めてコマを進めた大分・杵築高校にとって、聖地の記憶は暗黒に塗り潰されそうな展開だった。甲子園の常連である茨城・常総学院との初戦。先発左腕の永野大輔が初回から打ち込まれ、3回には永野と二枚看板だった2年生右腕・塩谷優祐を投入するも、流れを止めきれず。3回途中で0対13まで差が広がった段階で、3番手の青井がマウンドに上がった。
 銀縁メガネをかけ、いかにも勝負事に向かないオーラの出ている投手の登場。そしてNHKの実況アナウンサーがこんな情報を補足する。「青井投手は試合前、『僕の出番はないと思います』と語っていたそうです」。
 5年前よりもややふっくらした印象の青井本人に発言の真意を尋ねてみても、「本当に言ったのかなぁ……」と困惑するばかり。そんな3番手投手による、「メガネ青井劇場」が開演する。

現在は地元・大分で働く青井雄太。高校卒業後、初めての取材だという。

 2死一塁で登板した青井はいきなり盗塁を許し、さらに右中間二塁打を浴びる。スコアは0対14まで広がった。後続は何とか抑えたものの、記録的な点差になりそうな雰囲気が漂った。それでも、青井は「緊張は全然なかった」と振り返る。その理由を尋ねると、少し気まずそうな顔をして「点差が開いていたので……」と答えた。
 青井が大分大会で登板したのはわずか2回1/3のみ。準々決勝・大分西戦ではリリーフしたものの1死しか取れず、3安打1失点で降板。それ以来、出番はなかった。そんな青井だが、4回以降は不思議と常総学院打線をゼロに抑えていく。しかも、本人曰く「調子は悪かった」にもかかわらずだ。
「相手のバッターがホームラン狙いの振りをしていると思いました。だから打ちミスが多かったのかなと。僕の調子も良くなくて、ストレートがおじぎしていました。でも、それがよかったのかな」
 5回表にはまさかのシーンが訪れる。ここまでノーヒットに抑えられてきた杵築だが、1死から青井がレフトへ初ヒットを放ってしまう。投手ながらバッティンググローブで手を保護することもなく、素手でバットを振るシーンは新鮮さすら覚えた。
「バッティングには自信がないので、狙いは真っすぐオンリーでした。変化球が来ていたら当たらなかったと思います」
 さらに杵築は杉浦奨人もヒットに続き、岩尾真治がレフト前ヒットと3連打。しかし、二塁走者の青井が暴走して本塁に突入し、タッチアウトになってしまう。
「僕の足が速ければセーフだったと思います。試合前に張り切ってアップをし過ぎて、足にきていました」

ピッチングだけではなく打撃でも活躍。Twitterの盛り上がりも上昇の一途をたどる。

 もうこの頃になると、場内の観衆もテレビの観戦者も「このメガネの球児には何かがある」という目で見るようになっていた。Twitterのタイムラインには「メガネ青井」に関するツイートで溢れた。
 青井は常総学院を5回以降はノーヒットに抑える。アウトを取るたびにスタンドから拍手が沸き上がり、青井は快感を覚えると同時に戸惑いも感じていた。「なんで打てないの?」と。7回表には自身2安打目となるセンター前ヒットをかっ飛ばし、ネット上のメガネ青井ウォッチャーはさらに狂喜乱舞。試合が終わる頃には、テレビの実況アナウンサーも、解説者も、スイッチャーも青井の虜になり、青井寄りの放送になっていた。0対14で敗れたチームとは思えない扱いで、メガネの救世主を讃えた。
「みんなから『おいしいところ持っていきやがって』と今もいじられます(笑)。とくに(2番手で登板した)塩谷とは電話で話すと『青井先輩、いいですよね』って言われますね。大分大会は塩谷が頑張ってくれたのに(笑)」
 大会後、青井が学校に行くと、阿部知巳監督が「メガネ青井」を讃えるTwitterのまとめサイトをプリントアウトしてくれた。青井はそこで初めて、自分がインターネット上で「スター」になっていたことを知ったという。
「スマホを持っていなかったので、全然知らなくて。でも大分に帰ってきても、雑誌の取材が1つあったくらいで何も変わらなかったですね。学校でも、女の子から写真を撮ってほしいと言われましたけど、モテなかったし(笑)」
 その後、青井は指定校推薦で関西大に進み野球はやめた。現在は地元・大分の企業に就職している。
 青井と会話していて、ひしひしと感じたことがある。この青年は、清々しいまでに「小市民気質」なのだな……と。
「冬は毎日野球部をやめたいと思っていましたけど、逃げる度胸がありませんでした」
「授業は毎日しっかり受けていました。寝る勇気がなかったので……」
「巨人ファンなんですけど、(大学時代に)甲子園は怖くて行けませんでした」
 どこにでもいる、気の優しいメガネの高校生。そんなありふれた存在が、たった一瞬とはいえ、大敗したとはいえ、甲子園のスターになってしまう――。2012年の夏、青井雄太に熱狂した人々は、そこに夢を見たのではないだろうか。

取材・文/菊地高弘 編集/田澤健一郎