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法大・三浦が11奪三振の力投も、立大の代打・吉岡が起死回生の同点打!雨中の熱戦は引き分け決着 【4/17 春季東京六大学野球 法政大学vs立教大学】

 4月17日、東京六大学野球春季リーグの第2週1日目が行われ、第2試合では法大が9回までリードを保つも、立大が土壇場で同点に追いつき、2対2の引き分けとなった。

雨が降り続く中で展開された熱戦を終え、法大ナインは悔しさを噛み殺した表情でスタンドにあいさつした。

 前週で慶大相手に1勝1敗だった法大は、その慶大戦で史上3人目の「ノーヒットワンラン勝利」を達成した三浦銀二(4年・福岡大大濠)が先発。一方、この日がリーグ戦初戦となった立大は、溝口智成監督が「先発の軸として考えている」と期待を寄せる池田陽佑(2年・智弁和歌山)が自身リーグ戦初先発のマウンドに上った。

 試合は初回から動いた。1回表、法大が先頭の宮﨑秀太(3年・天理)のヒットからチャンスを作ると、3番・齊藤大輝(3年・横浜)と5番・小池智也(4年・八戸学院光星)のタイムリーでいきなり2点を先制。

 立大もすぐさま反撃。溝口智成監督が「うちのチームの中では足が突出して速い。この冬でバッティングもよくなってきた」と1番打者に指名した道原慧(3年・駒大苫小牧)が、「高校の時の練習試合で1本だけ」というランニングホームランを記録。相手守備が乱れた隙に一気にダイヤモンドを駆け抜けて1点を返した。

立大の先発・池田は2回以降立ち直って5回2失点。溝口監督からは「初回は緊張していたけど合格点」との評価。

 得点を奪い合った初回の攻防から一転、2回以降は投手戦となった。
溝口監督が「(初回の)ランニングホームランでリセットされて、すごく気持ちが楽になった」と振り返った立大は、先発の池田が2回以降は落ち着きを取り戻して5回まで無失点。そして6回からは2番手の栗尾勇摩(4年・山梨学院)が2イニングをパーフェクトに抑えると、8回、9回は3番手の宮海土(3年・國學院栃木)が2イニングを1安打無失点。投手陣が踏ん張り、反撃の機会を待った。

法大の先発・三浦は9回135球を投げて計11奪三振の力投を見せたが…

 法大の先発・三浦は貫禄のピッチングだった。初回1失点以外は、伸びのあるストレートを軸に、スライダー、チェンジアップも交え、加藤重雄監督から「代える気はない。最初から最後まで任せる」と絶大な信頼を寄せられた中、「ランナーを出すまではテンポを意識して、ランナーを得点圏に背負った時にギアを上げて投げた」と勝負所で三振を奪い、5回1死三塁、6回1死一、二塁、7回1死二塁のピンチも脱出。2対1と1点リードを保ったイニングを重ねた。

 しかし、土壇場の9回裏だった。立大は2死ながらも二塁のチャンスを掴むと、代打・吉岡広貴(3年・広陵)が、追い込まれながらも「(最後は)真っ直ぐ一点張りだった」と三浦のストレートをセンター前に弾き返し、二塁走者が生還して同点。そのまま2対2で試合終了。「非常に痛い引き分け」と唇を噛んだ法大・加藤監督と「(勝点)0が0.5になった」と語った立大・溝口監督の表情は非常に対照的だった。

9回裏2死2塁から代打・吉岡が起死回生の同点打を放ち、盛り上がる立大ベンチ。法大のエース・三浦(手前)は“あと1球”で勝利を逃した。

■法政大vs立教大
法大 200 000 000=2
立大 100 000 001=2
【法】三浦-舟生
【立】池田陽、栗尾、宮-黒岩

◎法政大・加藤重雄監督
「三浦がずっと投げて、投げる度に踏ん張っていたので勝たせてあげたかった。最初に2点取ったが、4回以降ヒットが出ずに追加点を取れなかったのが、好投した三浦に勝ちを付けさせてあげられえなかった要因。非常に痛い引き分けだと思います」

◎法政大・三浦銀二(4年・福岡大大濠)
「(最後は)三振を取るつもりで投げた。調子は悪くなかった。雨もあったし、立教打線は乗せると怖い。相手を調子付かせないように、こちらに流れが来るようなピッチングを意識していた。ランナーを出すまではテンポを意識して、ランナーを得点圏に背負った時にギアを上げて投げた」

◎立教大・溝口智成監督
「よく粘りましたね。三浦君を相手に、よくランナーを進めた。その前の回までも、コツコツとやれることをやっていた結果が最後につながった。その場その場でみんなが役割を果たしてくれていた。勝てなかったのであまり大きいことは言えませんが、9回に追いついたということを考えればヨシとしたい。うちにとってみれば、(勝点)0が0.5になった。引き分けだった」

◎立教大・吉岡広貴(3年・広陵)
「(9回の同点打は)チームが作ってくれたチャンス。舞い上がることなく無心にバットを振りました。最初にスライダーがボールになって、追い込まれてからのチェンジアップをファウルにして、もう真っ直ぐしかないと一点張りだった」