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2019.09.01 12:00
野球大国・ドミニカの現状 ~後編~ ドミニカの野球少年、メジャーリーグ・アカデミーまでの道程【WORLD BASEBALL vol.26】
この度、実際に現地に足を運んで取材したドミニカ野球の現状についてのレポート。今回は、メジャーリーグ・アカデミー「以前」の野球の現状について取り上げる。
「昔は、夏も冬もみんなペロータ(野球)をしたよ。メジャーリーガーだった私もアメリカでのシーズンが終わって帰ってくると、1週間ほど休んだらウィンタリーグでプレーしたもんだ。ドミニカのファンが待っているんだからね。野球が仕事なんだから疲れたなんて言ってられないよ。
ピッチャーもいったんマウンドに上がれば150球くらい平気で放ったもんだ。今は、みんなカネ、カネ、カネ。メジャーリーガーはフルシーズンなんてプレーしないし、プレーしてもメジャー球団からの指示で出番が制限されている」
これは現在も現地で野球を指導しているある元メジャーリーガーの言葉である。ドミニカ野球の全盛期は1950年代前半、この時期、まだメジャーリーグの影響下にある前のドミニカリーグは、パワーを売り物にした独特のスタイルで地元ファンを魅了した。この時代を「ベースボール・ロマンティコ」と人は呼ぶが、時計をその頃に戻すのはもはや不可である。
現在ここドミニカにある野球は、アメリカ野球そのものと言っていいかもしれない。ドミニカのアマチュア野球はメジャーリーグ球団との契約が解禁される16歳までといっていいだろう。シニア世代のアマチュアリーグはあるにはあるが、有望株がこの年齢で根こそぎ「アメリカ」にもっていかれるため、かつてのようなレベルは保っていない。
「バットとボールをもって生まれてくる」と表現されるドミニカの男子たちは、ものごころついた時には手製のバットと牛乳パックを細工したグラブ、それに紙を丸めて作ったボールで彼らが「ペロータ」と呼ぶ野球を始める。
そしてどの町にも必ずといっていいほどいるメジャーリーガーが、故郷へのプレゼントとして配り歩いた野球道具を手に、「リガ」と呼ばれる少年野球で本格的にプレーするようになる。まだ小学校低学年のこの時点で、周囲の大人たちは、彼らの中に有望株を見つけては、その情報を様々なところに提供して日銭を稼ぐ。その姿はゴールドラッシュ時代の金鉱掘りと重なる。
その過程で才能を見込まれた少年たちは、「プログラマ」という日本でいう野球塾のような場に送られる。ここの運営者は「ブスコン」と呼ばれ、彼らは少年たちをメジャーのアカデミーや私設アカデミーに「売る」ことで生計を立てている。
「リガ」から「プログラマ」、私設アカデミー、そしてメジャー・アカデミーというのがこの国におけるプロ野球選手への「パイプライン」なのである。
その過程で、実績を認められたものが、自国ウィンターリーグの場に立つことができ、その一方で、メジャー球団をはじめとする、世界各地のプロリーグで職を失ったものは、5 月に行われる「AA(ドブレアー)」と呼ばれる地域リーグ、その上位の夏のプロリーグ「リガ・シバオ」でプレーを続け、次の契約を待ち、それもかなわないとなると引退となる。
つまりはこの国において楽しみで野球をするのは少年時代初期までで、その後は野球イコール「生活の糧」であり、大人が楽しむのはソフトボールとなる。ただし、元プロ野球選手の集うこの遊びには危険も伴うようで、野球のそれよりよりはるかに近距離から投げる投手はフェイスガードを装着するという。
良くも悪くも現在のドミニカ野球はアメリカに「支配」されている。この秋のプレミア12の代表チームもマイナーリーガー中心の編成になることは間違いないだろうが、国内ウィンターリーグが、どれだけ選手の供出に協力するかもカギになってくるだろう。
文・写真=阿佐智