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南米の野球選手輩出国ベネズエラ ~前編~ 日本野球とも縁の深い地球の裏側の野球の歴史【WORLD BASEBALL vol.21】

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 3月から続けてきた第2回プレミア12出場国の野球紹介もいよいよ最後の国、ベネズエラを残すのみとなった。ベネズエラの野球についても、前・後編と2回に分けてお伝えしたい。前編はこの国の野球の歴史から紹介する。

 ベネズエラは、横浜DeNAのラミレス監督やロペス選手に代表されるように、これまで数多くのベネズエラ人選手が日本球界でも活躍してきた。海の向こう、メジャーリーグでもアメリカ、ドミニカに次ぐ選手輩出国となっている。今回はそんなベネズエラの野球の歴史を振り返ってみる。

日本で活躍したアレックス・カブレラもプレーした今はなきロスリャノス・パストラの本拠アラウレの球場

日本で活躍したアレックス・カブレラもプレーした今はなきロスリャノス・パストラの本拠アラウレの球場

 サッカーの大陸南米にあって、この国が「野球国」となったのは、やはりアメリカとの密接な関係が背景にある。

 1890年代初めにアメリカに留学したベネズエラ人学生が持ち帰った、あるいは、首都カラカスを訪れたキューバ人により伝えられたという野球は、産油国であるこの国にやってきたアメリカのビジネスマンたちによって広められた。

 1895年には最初のクラブチーム・カラカスBBCが発足している。20世紀に入ったころには、野球はこの国一番の人気スポーツとなった。

 1927年にはベネズエラ野球連盟が発足し、同時に4チームによる最初のプロリーグがサマーリーグとして実施された。そして、1939年にはアレハンドロ・カラスケルがベネズエラ人初のメジャーリーガーとしてワシントン・セネタースのマウンドに立った。

首都カラカスのウニベルシダッド球場で行われるレオーネス対ティブロネスのダービーマッチはベネズエラウィンターリーグの看板カードのひとつだ。

首都カラカスのウニベルシダッド球場で行われるレオーネス対ティブロネスのダービーマッチはベネズエラウィンターリーグの看板カードのひとつだ。

 次第に力をつけたベネズエラ野球は、国際大会にも顔を出すようになり、1938年には中央アメリカ・カリブ大会で国際デビューを果たしている。

 そして、1941年秋に開催された南北アメリカ9か国によるアマチュア・ワールド・シリーズでは優勝を果たした。のちにこの大会がワールドカップに認定されたことにより、ベネズエラは「世界一」の栄冠を勝ち取ったこととなり、全国民を熱狂の渦に巻き込んだ。

 この時の代表チーム、ペイトリオッツは、1945年末に結成された新プロリーグに、カラカス・ブリュワリー、バルガス・ワイズメン、マゼラン・ナビゲーターズとともに加入した。このウィンターリーグとして1946年1月からスタートした新リーグが現在に連なるプロリーグである。

 1949年に各国ウィンターリーグのチャンピオンによる選手権、カリビアンシリーズが開始されると、ベネズエラはこれに参加。以来、自国で14回この大会を開催し、通算7回の優勝を遂げている。

 タレント豊富なこの国にもメジャーリーグのスカウティングの手は伸びていき、1997年には、MLB傘下のマイナーリーグとしてベネズエラン・サマー・リーグが発足し、多くの若者がアメリカプロ野球を目指すようになった。しかし、近年の政情不安定、それに伴う経済の不振などもあって、2016年シーズン限りでこのルーキー級リーグは活動を休止した。

 このような歴史を歩んできたベネズエラ野球。後編はこの国の現状について述べていく。

文・写真=阿佐智