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「本当は巨人で終わると思っていた」 岡島秀樹が海を渡ったワケ【Global Baseball Biz vol.42】

【写真提供:岡島秀樹】

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 今回は元選手で現在野球解説者を務める岡島秀樹さんのインタビューをお伝えしたい。日米で頂点を極めた素晴らしい球歴の持ち主だが、すべてが順風満帆だったわけではない。酸いも甘いも噛み分けた野球人生を経験された岡島さんに、自身のこれまでと海外へ挑戦する野球選手たちへの想いを語っていただいた。

■平穏だった野球人生 突然のトレード移籍がすべてを変える

 岡島さんが野球を始めたのは小学校2年生のころ。親の勧めもあり、2歳年上の兄と同じ少年野球チームに入団した。高校は、姉から『この高校はモテるよ』と勧められ、東山高校に入学。野球部は春のセンバツに二度出場し、活躍ぶりを高く評価した読売ジャイアンツからドラフト3位指名を受ける。阪神ファンだった両親も「あの長嶋さんの元で野球ができるなら」と喜んで入団を後押しした。

巨人では、先発・中継ぎ・抑えと投手としてすべてのポジションを経験。日本シリーズでの胴上げ投手をはじめ、オールスターゲームに新設された”クローザー部門”に初代選出されるなど数々の経験と実績を重ねた。しかし、事態は突然急変する。2006年のセ・リーグ開幕直前に、北海道日本ハムファイターズへのトレード移籍が発表された。

「当時はかなり複雑な心境でした。ジャイアンツに入って、ジャイアンツで終わるものだと、そう思っていたので。当時、日ハムでGMを務めていた高田繁さんと電話でお話した時に『先発としての起用を考えている。ローテにベテランの左が一枚いてもいいんじゃないかなと』と言われ、それならば喜んで力になろうと心を決めました」

日本ハムにはこの1シーズンのみの在籍となったが、チームのリーグ優勝と日本一に貢献。そして自身の野球観を変えるような大きな出会いと経験があった。

「一ヶ月ほど先発調整をしていたんですが、いざ始まってみたら左の中継ぎが心許ないと……結局チーム事情から中継ぎとして投げることになりましたが、移籍したことによって、チームごとに異なるカラーの野球があるということを知ることができたのは、自分にとって良い経験でした。トレイ・ヒルマン監督とSHINJOさんと一緒に野球をやれたということは大きかったです。日本の野球しか知らなかった自分に、アメリカの野球を教えてくれたんです。SHINJOさんから『楽しくベースボールしようよ! ”野球”じゃなくて”ベースボール”だよ!』と言われたことはよく覚えています。日ハムでの1年がなかったらアメリカには行ってなかったでしょうね」

■恐怖心と引き換えに得たもの

【写真提供:岡島秀樹】

 岡島さんは31歳にして、野球ではない”ベースボール”を追い求め、メジャー入りを果たす。日本では申し分ない実績と経験を持っていたが、当初はさまざまなことに苦労したという。

「まず、ボールに適応することが大変でした。チーム合流前に試してみたんですが、メジャーのボールは滑ってしまってカーブがうまく使えなかったんです。元々カーブピッチャーでしたが、決め球として使う道は捨て、チェンジアップやスプリットを活用しようと。春季キャンプやオープン戦の前に新しい球種を覚えたりと、試行錯誤を繰り返して……自分にとっては今までにない試みでした」

新たに会得した球種は、春季キャンプやオープン戦では有効だったという。『自分はいけるぞ』という自信もあったそうだ。

「でも、いざ開幕したら初球ホームラン。8番バッターにですよ。メジャーの洗礼を浴びましたね。ショックでその日の夜は眠れませんでした。打順に関係なく『バットに当たったらホームランだ』という恐怖を感じました。自分はアメリカでやっていけるんだろうかと……その一発のおかげで、かわすピッチングをするようになりました。バットに当たらないように投げてましたね、日本ではまずやらない投球術でした」

この新たな投球スタイルが功を奏し、初球ホームランから始まったにも関わらず、その月の月間最優秀新人賞を獲得。その後の活躍も、この痛恨の一撃によって生み出されたと言っても過言ではない。メジャーに挑戦したから経験した痛みと成功は、岡島さんの人生に大きく影響したのだった。

「選手生命は短いですし、メジャーはやっぱり野球の最高峰。少しでも高いレベルのステージで戦うことを目指すのは、自然なことです。自分も日本だけで終わっていたら、海外での野球のシステムや、マイナー・メジャーそれぞれの状況や選手のモチベーションなどを知り得ることはできませんでした。自分が外国人選手として海外に挑戦しに行ったので、日本に来ている外国人選手の気持ちも理解できるようになりました。

巨人時代とレッドソックス時代の野球カード【写真提供:岡島秀樹】

ただ、日本に来ている外国人選手の多くが”助っ人”なんです。日本では余程のことがなければ契約期間を全うできますが、アメリカでは結果が出せなければ、即クビ。非常に残酷ですが、それが当たり前の世界です。結果を出して良い条件の契約を勝ち取り、生き残らなければならないんです」

■日本人選手がメジャーで成功するためには?

 2020年は新たに3名の日本人選手がメジャー入りを果たした。3選手にとってどのような点が成功の鍵となるのか、現在メジャー解説も務める岡島さんの意見を伺った。

「筒香嘉智選手は、動くボールに対してノーステップで逆方向にどれだけ打ち返せるかが課題かと。大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス)のように左中間に打てるようになれば、相手投手は投げる球がなくなります。タンパベイ・レイズは若くて強いチームなのでいいと思います。東海岸は力のあるいいピッチャーが多いですが、頑張って欲しいですね。

秋山翔吾選手は、怪我だけが心配です。彼は足があるし広角に打てるので、活躍が期待できますが、左ピッチャーに対してどう打ち返すかがポイントになるでしょう。守備を頑張りすぎて怪我をしてしまうことだけが怖いですね。一年目は頑張りすぎてしまうので、気をつけてほしいです。

山口俊投手が入団するトロント・ブルージェイズは、先発の数が揃っているのでリリーフになる可能性もありますが、怪我なくシーズンを投げていられたら先発をやるチャンスは巡ってくると思います。スプリット系の球がしっかりと決まれば、リリーフとしての起用なら良い場面で起用してもらえるんじゃないでしょうか。試合数は多くないですが、西海岸は湿度が低くボールが滑るので、気をつけてほしいなと。あまり神経質になりすぎない方がいいですね」

岡島さんの言葉からは温かさが感じられた。2020年シーズンのメジャーリーグの開幕が非常に楽しみだという。かつてのチャレンジャーは今、先輩として日本人選手の活躍を見守っている。

文:戸嶋ルミ