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Baseball Job File

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新進気鋭のデザイナーが語る「野球愛」と「ユニフォーム」に託す夢 【Baseball Job File vol.3】

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 プロ、アマを問わず野球界にかかわるさまざまな人々にスポットを当てる「Baseball Job-File」。第3回目は、楽天やヤクルトなどのプロ野球数球団のユニフォームデザインを手掛けるデザイナー、大岩Larry正志氏に、デザインの極意と野球への熱い想いを聞いた。



■ユニフォームをオシャレに、可愛く、格好良く

─ 現在、東北楽天ゴールデンイーグルス、東京ヤクルトスワローズのユニフォームや各種ロゴ・グラフィックををデザインされています。肩書きは「アートディレクター」、「グラフィックデザイナー」に「スポーツデザイナー」、「ユニフォームデザイナー」と様々ですが、どういう経緯で現在のような仕事をするようになったのでしょうか?

大岩 大学を卒業してすぐにデザイナーとして独り立ちしました。勘違いも含めて自分では「やれる」と思っていたんですけど、大学から就職せずに始めたので、やれるはずがなかった。

 才能のある人、センスある人は世の中にたくさんいる。そう気付かされて、改めて自分の存在をどこに置こうかと思ったときに、「俺、野球が好きやん」と…。元々、子供の頃から野球オタクだったので、その知識を持って野球のユニフォームをデザインしたら面白いと思ったんです。

 当時、野茂(英雄)さんから始まって、日本人選手が次々と海を渡った時期で、試合と同時にメジャーリーグのユニフォームも目に入るようになった。そしてそれが単純に、可愛いし、格好良かった。向こうのユニフォームやグッズなんかは、野球を知らない女の子たちが普通のアパレルとして身に付けているのに、日本のチームのものがそうならないのは、やっぱり「ダサい」から。
 
 そう僕の中で定義し、だったら、日本のユニフォームも可愛く、格好良いものにして、インテリアとして飾ったり、街着としてオシャレに着れるものにしたいと思った。自分の野球好きと野球の知識と、そこに学んできたデザインとが重なった結果、今に至っている感じですね。

─ 日本のプロ野球でも数年前から各球団が特別ユニフォームなどを作成したりして、ユニフォームのデザインそのものにスポットライトが当たるようになって来ましたが、それまではあまり重要視されていなかったのでしょうか?

大岩 そうですね。アメリカではマイナーも含めて約200チーム以上。バスケットボール、アイスホッケーも含めるとさらに多くのプロチームがあって、それに伴って専門のデザイナーがいる。

 でも日本には一人もいなかった。デザインを頼んでも専門の人ではなかった。やっぱりスポーツチームのユニフォームのデザインというのは専門職だと思います。医者に例えると分かりやすいですが、同じ者でも外科医と眼科医、歯医者では全然違う。デザインの世界にも得手不得手がある。球団としても、そこにお金を使って来なかった歴史があった。

 でも最近は重要視するようになって来ましたし、特に若い人たちがデザインに対して高い意識を持つようになった。どれだけ可愛いか、どれだけインスタ映えするか。それに伴って、反響も大きくなって来ていますね。

─ 最初にデザイナーとして野球のユニフォームを形にしたのは2003年。ご自身で「ベースボールユニフォーム展」を開催されましたが?

大岩 はい。あるスポーツメーカーにスポンサーになってもらって開催することができました。当時はサッカーの日韓W杯の直後で、メーカーの担当者さんが言うには「サッカーの企画ばっかりが来て、野球の企画はお前のだけやった」と。そういう運もありましたし、みんなと同じ方向を向いていてもアカンってことにも気付きましたね。

─ その後、2008年に西武の交流戦用のユニフォームのデザインを手掛けることになりましたが?

大岩 それが大きなキッカケになりましたね。出会いも運命的でした。当時、行きつけの美容師さんから電話がかかってきて、「今、髪を切っている西武の球団職員のお客さんが、普段とは違うユニフォームでプレーするという企画を考えているけど、誰にデザインを頼めばいいか分からないと言っているから、紹介していいですか?」と。

 僕は普段から「ユニフォームのデザインがしたい」って言っていたので、「すぐに紹介してください!」となって、すぐ次の日に会った。僕自身はそれまで何年もかけて準備してきたし、野球の知識も蓄えて来ていたので、色々と提案しながら、あとは相手の要望に応えるだけでした。野球のユニフォームについてこんなに勉強して来た人はいないでしょうし、いたとしてもデザイナーではない。そこが僕の強みだと思っています。

 どうしてもオシャレなイメージがあるデザイナーと、枝豆ビールの世界のプロ野球が繋がらなかったんですが、そこを繋げたいという思いでやっています。



■選手に対するリスペクトと将来の夢

─ デザイナーであると同時に「野球オタク」だと宣言していますが、野球そのものとの出会いはいつ頃だったのでしょうか?

大岩 子供の頃から普通に野球は見ていましたけど、熱狂的になったのは89年、中2の時ですね。キッカケは特になくて、急に、なんです。89年の開幕戦から、急に(笑)。上から何か降りて来たんじゃないかっていう感じで、急に熱狂的な野球ファンになった。

 僕自身、平安中学から平安高校(現・龍谷大平安高校)に進むんですけど、入学した時は野球に興味があったからではなかった。でも結果的に野球ファンなら誰でも知っている学校を卒業して、今現在、野球に携わった仕事をしているのも、なんか運命的なものも感じています。

─ 「野球オタク」っぷりを証明するように野球知識検定の5級と6級にも合格したとお聞きしましたが?

大岩 はい。満点合格です(笑)。その後、4級まで取得しました。中2で熱狂的なファンになってから、月刊ジャイアンツも月刊タイガースも、カープもドラゴンズも、全部の球団の雑誌、週刊ベースボールなども含めて、お小遣いを使い切って読み漁ってました(笑)。自分で野球ノートを付けて、今まで球場に見に行った観戦チケットも全部残していますよ。




─ これまで多くのユニフォームを手がけて来ましたが、デザインする時に心がけていることはありますか?

大岩 一番は「街着にできるシンプルなもの」ですね。百何十年の歴史がある野球のユニフォームですけど、元々は普通の服で、そこに刺繍を加えていった。その大元は崩さず、できる限り引き算して、シンプルにシンプルにというのを心掛けています。

 球場を出たら脱ぐものじゃなくて、着たまま家まで帰ってもらいたい。試合のない日でも着てもらいたい。そこが目指すところですね。いつも思っていることは、プレーするアスリートが人生をかけて努力しているんだから、その人たちに着せる戦闘服であるユニフォーム、それをデザインする方も、死ぬほど勉強して、努力しないといけない。選手に対するリスペクトを持ってやらないといけない、ということです。

─ いま43歳です。今後の人生の中でやりたいことは何でしょうか?

大岩 野球以外のスポーツももっと色々とやってみたいですし、特に代表チームのユニフォームはデザインしてみたいですね。そして将来的には、メジャーリーグのチームのユニフォーム、ロゴをデザインするのが夢です。

 「メジャーなんて無理!」って笑われるかも知れませんけど、昔、僕が「日本のプロ野球チームのユニフォームをデザインしたい!」って言っていたときも笑われましたから。笑われてもいいから目指したい。人生まだ長いんで、30年40年の間にやれるようになりたい。いや、もっと早くやりたい(笑)。40代の間にやれればベストですね。

▼プロフィール
大岩Larry正志(おおいわ・らりー・まさし)/1975年生まれ、滋賀県出身。平安高校から武蔵野美大学へ進学。「野球とデザイン」をテーマに制作活動を続け、2008年の西武ライオンズ交流戦用ユニフォームを皮切りに、2009年福岡ソフトバンクフォークス鷹の祭典用ユニフォーム及びグラフィック、2010年にはプロ野球名球会のリニューアルユニフォームとロゴをデザイン。2012年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの夏季限定ユニフォームや優勝ロゴ、2015年からは東京ヤクルトスワローズのユニフォームやグラフィック、ロゴのデザインを毎年手がけている。野球以外にもスーパーラグビー・サンウルブズやBリーグの仙台89ers、滋賀レイクスターズ、女子カーリング・北海道銀行フォルティウスのデザインも担当。

文・写真=三和直樹