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2019.12.04 12:00
「ご当地野球文化・野球のまち阿南」後編 野球のまち阿南が織り成す人の縁。そして「これから」【Ballpark Trip vol.30】
11月24日(日)のNHK「サンデースポーツ2020」で長時間にわたり特集が組まれるなど、いまや野球界を超えた新たな地方創生モデルとして注目を集める徳島県阿南市の「野球のまち阿南」事業。では、全く前例のない施策は、なぜ大成功を収めたのか?
後編では前編につき続きキーマンである田上 重之・阿南市「野球のまち推進課」初代課長(現:同市参与)さんの話を交えつつ、野球のまち阿南が織り成した「人の縁」と「これから」について追っていく。
<前編はこちら>「ご当地野球文化・野球のまち阿南」前編 「前例なし」から10年あまりでの急成長【Ballpark Trip vol.29】
■「ノーサイン野球の祖」野球のまち阿南に降り立つ
還暦野球大会に野球ツアー、国際交流にセンバツ直前合宿。2007年から様々なアプローチを続けてきた徳島県阿南市。そんな「野球のまち阿南」に2018年8月、1人の男が降り立った。
その人の名は中野 泰造氏。広陵(広島)では1972年夏に二塁手として甲子園出場。天理大卒業後は奈良県の公立校指導者を経て当時創設されたばかりの東亜大監督へ。
ここではチームを中国地区大学リーグ1部に押し上げたばかりでなく、明治神宮大会では1993年に初出場初優勝すると2003・2004年には大会連覇。選手たちに選択の幅を持たせる練習を積んだ上で試合で実行に移す「ノーサイン野球」は、東京六大学・東都大学勢をはじめとする強豪リーグ代表を撃破する大きな原動力となった。
その後、高川学園(山口)や鹿児島大監督も歴任した中野氏。この日は高川学園時代から練習試合を通じ親交があり、2016年から「ノーサイン野球」を採り入れるようになった小川 浩監督が率いる富岡西の指導サポートに訪れたはずだった。が、しかし……。数時間後、中野氏の姿は阿南市役所「野球のまち推進課」にあったのである。
「指導の後に町を歩いていたら『野球のまち阿南』ののぼりを見て、自分から足を運んで頂いたんです」
当時課長だった田上 重之氏(現:同市参与)も驚きの来訪。そして事業の方向性に「これが私の目指していたこと」と共鳴した中野氏は、今年2月から阿南市に定住。現在は一般社団法人・国際野球観光協会職員と野球のまち推進課アドバイザーとして「野球のまち阿南」を拡げ、かつそのメソッドとして「ノーサイン野球」のベースづくりに勤しんでいる。
他にも今年、埼玉西武ライオンズからドラフト8位指名を受けた岸 潤一郎をはじめ、徳島インディゴソックスの選手たちがトレーニングを積むインディゴコンディショニングハウス(徳島県北島町)の代表・殖栗 正栗氏は昨年10月から有志による小中学生対象「阿南長期育成トレーニング教室」に携わる縁と、昨年12月に富岡西の「健康・スポーツ講座」授業で講師役を務めたことをきっかけに富岡西のトレーニングコーチとしてエース・浮橋 幸太ら選手たちの強化に着手。
中野氏との両輪で今年センバツにおける21世紀枠初出場での初戦で、のちに優勝校となった東邦(愛知)に対する1対3の健闘に寄与した。
こうして「野球のまち阿南」が呼んだ人の縁は、ともすると世代ごとに方向性が異なりがちだった育成システムや野球知識を統一化した。そして身体をつかいこなし、自ら考え実行できる選手たちが巣立っていく「阿南スタイル」の確立につながろうとしている。
■「見る」「する」「迎え」「育てる」野球のまち阿南へ
「『阿南に行ったらいい球場で試合ができる』と思って、1年間小遣いを貯めて、1年に1回は阿南に行こうというチームが今は30チームくらいいます。これからはそのチーム数を50チームくらいにして、JAアグリあなんスタジアムを『草野球の聖地』にしたいですね」
このように「これから」の構想を語る田上氏。同時にそんな「野球のまち阿南」を継承していく事業もすでに始まっている。
今年からは市内保育園・幼稚園児を対象にした「Tボール教室」を開始。少年野球連盟の指導者が講師役となり、ここまで3回の開催で毎回100人以上の参加者が集う盛況を呈している。
さらに近年大きな話題を集めている「eスポーツ」にも着目。「今年は新たな展開になりそう」と田上氏が示唆するセンバツ出場校直前合宿含め、2020年は新たな展開が生まれそうだ。
「野球を「見る」人たちばかりでなく、野球を「する」人たちを「迎えて」賑わいを作りたいんです」(田上氏)。「見る」、「する」、そして「迎え」、「育てる」。日本に、そして世界に野球の新機軸を打ち出す阿南市の挑戦は、これからも続いていく。
記事:寺下友徳