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2019.05.30 12:00
世界野球で無敵の強さを誇ったキューバ ~前編~ アメリカと袂を分かった「アマチュアの雄」【WORLD BASEBALL vol.13】
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「アマチュアの雄」として名を馳せたキューバ。国際大会がプロ抜きで行われていた1980年代まで、この国は世界野球で無敵の強さを誇った。
今回からは各国の野球を前後編に分けてお伝えする。前編はこの国の野球の歴史から紹介したい。
キューバでは、野球は「敵国」・アメリカからもたらされたものではなく、その起源は先住民の打球技、「バトス」に求められると考えられている。
現実には、この島がまだスペイン領であった1864年にアメリカに留学していたギロ兄弟が野球を伝えた。この兄弟が結成したチームは、同時期にアメリカの水夫が野球をもちこんだ港町・マタンサスにおいて試合を行っている。
暑い日差しの中、味方の攻撃中は日陰で休むことのできる団体スポーツである野球は、急速に人気を高め、これに敏感に反応した植民地政府は、独立戦争がはじまった1869年に野球禁止令が出している。
しかし、これも野球人気を止めることはできず、1878年には早くもプロリーグが発足した。キューバは米西戦争の結果、1902年にアメリカの保護国として独立するが、アメリカの強い影響の下、野球はますます発展していった。
常夏の気候は、地元のウィンターリーグだけでなく、アメリカマイナーリーグの進出を招いた。1946年、C級球団としてハバナ・キューバンズが創立。このチームは、1954年にシュガーキングスと名を改め、マイナー最高ランクの3Aに昇格し、1959年にはインターナショナルリーグを制した。
また、ウィンターリーグにおいてもキューバは中南米カリブ地域の盟主として、1949年の第1回大会から1960年まで12回出場したカリビアンシリーズにおいて、7度チャンピオンに輝いている。
しかし、キューバ革命とそれに伴う共産化によって、キューバ野球はプロ野球の世界から去っていった。革命の指導者フィデル・カストロは、プロリーグを州対抗のアマチュアリーグ、「セリエ・ナシオナル」に再編し、プロ中心のアメリカ野球と決別する。
アマチュアリズムを貫くことになったキューバ野球は、プロ不在の国際大会において圧倒的な力を発揮した。
オリンピックでは正式種目となったバルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、ペキンの5大会で金メダル3度、銀メダル2度とすべて決勝に進出、また、ワールドカップ優勝25回、インターコンチネンタルカップ優勝11回も他の国の追随を許さない。
その強さは、プロ相手にもひけをとらず、2006年のワールドベースボールクラシック第1回大会では、決勝に駒を進め、日本に敗れたものの、「敵国」・アメリカで銀メダルを手にしている。
次回は、この国のトップリーグ、「セリエ・ナシオナル」とキューバ野球の抱える問題について述べていきたい。
文・写真=阿佐智