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日の丸を背負って芽生えた気持ち 薮田安彦メジャー挑戦の夢と現実【Global Baseball Biz vol.4】

写真提供=共同通信


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 間もなく平成も終わろうとしている。今回は、平成の間に「日本一」と「世界一」と「海外挑戦」を経験し、現在は野球解説者・指導者として活躍されている薮田安彦さんからお話を伺い、前後半に分けて紹介したい。

 薮田さんは上宮高校を経て、社会人野球の新日鐵住金広畑へ。1995年のドラフトで千葉ロッテマリーンズに2位指名を受け、1996年に入団した。先発として入団したが2004年から中継ぎに本格転向する。2005年にはロッテのリーグ優勝と日本一を経験し、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場した際は、日本代表の世界一獲得へ貢献した。

 この時「日の丸を背負って戦った経験」を得たことから、今まで全く考えていなかった”メジャーへの挑戦”を考えはじめるようになったという。そして2007年オフ、カンザスシティ・ロイヤルズと契約。しかし思うような結果を出せず、2シーズンで帰国となった。帰国後の2009年から古巣のロッテに復帰し、2013年に現役引退を発表した。

――社会人、NPB、メジャーとそれぞれのチームにおいて、日々の過ごし方はそれぞれどのようなものだったのでしょうか

薮田安彦氏(以下、敬称略)「社会人時代は午前中は仕事で午後から練習、当時は大会がなければ土曜は半日練習、日曜は休みでした。NPBは試合スケジュールに沿って(だいたいが)6連戦で週に1日は休み、メジャーでは日本ほど休みがあるわけではなく、10連戦なんかも普通にありますし天候によってはダブルヘッダーもありますから、ハードなのはメジャーでしたね。ただ、移動はメジャーが一番楽です。楽というのは”移動手段”の話で……基本的に球場から空港までバスが直行してくれて、飛行機の下まで行ってくれます。そこでセキュリティチェックをして飛行機に搭乗して、目的地についたら飛行機のところまでバスが来て、そのまま宿泊先のホテルまで送迎してくれたので。ただ、移動時間や移動距離は(日本プロ野球より)メジャーの方が長いですけれど」


写真提供=共同通信


――試合中の時間の過ごし方にはどんな違いがありましたか

薮田「当時ロイヤルズでは試合始まってすぐに投手がみんなブルペンに向かっていたんです。日本だと試合前練習終わりでちょっと時間があったけれど、メジャーの場合ビジターで行くとバッティング練習終わってほぼ時間がなくて、急いで食事をとって向かってました。日本ではブルペンへ行く前にマッサージがあったりと、メンテナンスのための時間もあったんですが、向こうで試合前にそういったことをする選手はいなかったです。メジャー球場のブルペンは基本的に外にあるので、場所や季節によっては寒かったり暑かったりと大変でした。特に寒いところは空調があっても体が動かず苦労しました。ブルペンでの投球数の制限があることなんかは報道などを通じて予め知っていましたが、こういったことの違いがあることは行って初めてわかりました。あとメジャーだとバッティング練習中は投手陣が守るんですよね。あれがしんどかったです。これは向こうのやり方なので、どこのチームも一緒だと思います。投手全員で外野に散らばってやるんですけど、ずっと立ちっぱなしだったので、慣れるまでは腰が痛くなったりしてね……」

――向こうで苦労されたことは何でしたか

薮田「食生活は問題なかったですが、一番苦労したのは英語ですね。通訳の方はいましたが、自分でもっと話すことができたら行動範囲がもっと広がっていたと思いますし、”違った結果”になったのではないかなと。もっと英語が喋れたら野球以外の面でも向こうでの生活を更に楽しめたんじゃないかなと」


写真=戸嶋ルミ


「プレーでも、もっとコミュニケーションが取れたら……と思うこともありましたから。チームメイトやスタッフが簡単な単語を使ってくれたりゆっくり話してくれたのもあって、英語を聞き取るのは徐々にできるようにはなりましたけれど、思うように喋れないので、思っていることをうまく伝えられなくて歯がゆい思いをしていました。技術の点において自分の力不足で、結果を残せず早い帰国にはなりましたけれど、ただ、当時は楽しかったんです。その楽しさが、英語を話せることによって二倍三倍にもなったんじゃないかなと思うことはあります。2シーズンで終わってしまいましたけれど、本当ならできればもっと長く――最低でも5年、向こうで引退するくらいの気持ち(での渡米)だったので」

 WBCでアメリカ代表と対戦はしており、アメリカの球場での投球は経験したこともあったが、長期間での滞在となると状況は違ってくる。キャンプで感じたマウンドへの違和感を解消しきれず、不安を抱えたまま開幕を迎えてしまったという。その点においても、コミュニケーションが取れたら違っていた可能性はある。言葉の壁は大きな障害として立ちはだかった。

 しかし、薮田さんはこれから海外に挑戦したい気持ちを抱く後輩たちに向けて、「人生は一度しかないから、行きたかったら行ったほうがいい」と力強く言い切る。思うような結果が出なかった自らの挑戦を以ってしても、やはり「行かなければわからないこと」を得た経験の方が人生の中で大きな糧となっているという。インタビュー後半では、行ってわかったことや指導者としての現在の立場から思うことなどを紹介したい。

文・写真/戸嶋ルミ