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台湾でスターとなった元ダイエー右腕 独立Lで初めて監督に挑戦する理由


台湾でスターとなった日本人の元投手が世界5か国を渡り歩き、縁もゆかりもない徳島の独立リーグで、監督業に初挑戦する。

■米3Aでノーヒッター…世界5か国を“旅”した43歳の新たな夢とは

 台湾でスターとなった日本人の元投手が世界5か国を渡り歩き、縁もゆかりもない徳島の独立リーグで、監督業に初挑戦する。

「世界を一人で旅して培った経験を買っていただいた。意気に感じています」

 そう話したのは、四国アイランドリーグ(IL)plus・徳島インディゴソックスの養父鉄(ようふ・てつ)監督。名前に聞き覚えのあるファンもいるだろう。12月に就任したばかりの43歳の新指揮官、その経歴は異色そのものだ。

 神奈川出身の右腕は、帝京三高から亜大を経て、社会人野球の日産自動車でプレー。だが、プロ入りを夢見ながら「5位以下ではドラフト指名できない」というチームの制約もあり、声がかからず。27歳で大きな決断を下した。

「『会社を辞めます』と日産に伝えた。目指すなら、腹を決めて目指そうと」

 退路を断って、活路を求めたのは台湾だった。01年に台湾プロ野球の兄弟エレファンツに入団。異国の地で遅すぎるプロデビューを飾ると、溜まっていたうっ憤を晴らすかのように、躍動した。台湾プロ野球史上最多の1試合16奪三振をマークするなど、11勝を挙げて最多奪三振&ゴールデングラブ賞を獲得。出場した台湾シリーズでもシリーズMVPに選ばれる活躍で、優勝に貢献した。退社からわずか1年で一躍、台湾球界のスター選手となった。

■ダイエーから米国、メキシコ、ベネズエラ…「少しも苦しいと思ったことなかった」

 その活躍がダイエー(現ソフトバンク)の目に留まり、01年のドラフト7巡目で杉内俊哉(現巨人)と同期入団を果たしたが、腰の故障もあって1年で戦力外。活路を求めたのは、再び海外。今度は米国だった。ホワイトソックス傘下で3Aなどで3シーズンプレーし、ノーヒッターも達成。オフにはメキシコ、ベネズエラのウィンターリーグ、その後は米独立リーグにも渡った。最後は06年に台湾・兄弟に1年在籍。翌年はメジャーで入団テストを受けたが縁なく、33歳で世界5か国をまたいだ現役生活に別れを告げた。

 こうして見ると、激動の経歴となるが、ハングリー精神を求められる環境は過酷だった。

「もちろん、環境的には厳しい場所が多い。でも、少しも苦しいと思ったことはなかった。行った土地で郷に従ってやっていくだけ。深く考えるより、やることをやってダメならいいと思ってやってきたので。その時は『クビにしてください』と」

 3年間、不動産会社勤務を経て、10年に地元・神奈川で野球スクール「ルーツベースボールアカデミー」を開講。代表講師として指導に携っていたところ、小学校時代に徳島・坂口裕昭元社長(現・四国IL事務局長)とチームメートだった縁もあり、就任のオファーが舞い込んだ。

「周りを見渡しても、こういうところで監督をできるのは10年、20年もプロで現役をやってきた大先輩ばかりですから」

 そう本人が話す通り、広島で4番を務めた香川・西田真二監督、巨人で4番に座った高知・駒田徳広監督、そしてドラフト1位で入団して守護神に君臨した愛媛・河原純一監督と現役時代の実績が華々しい指揮官ばかり。それでも、オンリーワンの野球人生を歩んできたからこそ、できることがあると信じている。

■NPBへの熱い情熱…かつての自分と重なる原石「背中を押していきたい」

 英語、スペイン語、北京語を操り、外国人選手とも意思疎通が図れることも、その一つ。世界では尊敬できる指導者とも出会った。ホワイトソックスの2A時代に指導を仰いだフアン・ニエベス投手コーチは現在、マーリンズで投手コーチを務めている。ただ、何より、自分自身がNPBを目指して歩んだ経験が貴重な財産だ。

「僕は日本でプロに行きたいと思って遠回りして、結局、けがをしてダメになってしまった。行くことに目標を持ってしまっていたと思う。行くだけじゃなく、行って活躍する選手にならないとダメ。自分はそれに気づくのが遅かった。だからこそ、ここに来た経緯はそれぞれ違うけど、私が一人一人の考え方と向き合って、背中を押していきたい」

 NPBへの熱い情熱を携えて渡ってきた選手が四国ILには多い。いわば、若かりし頃の指揮官と重なる原石ばかりだ。

 2月1日からチームの本格的な練習がスタートした。

「四国というで新たな土地で、また郷に従って、新しい環境でやっていくことが大事になると思う。監督は初めてでも期待の方が大きい」

 一人でも多くNPB、その1軍の舞台へ――。かつての自分を後押しする。そんな夢を宿した新たな旅が、徳島から始まった。

◆養父 鉄(ようふ・てつ)

 1973年6月26日、神奈川・鎌倉市生まれ。43歳。逗子リトルリーグで7歳から野球を始める。帝京三高から亜大を経て、日産自動車入り。都市対抗優勝を経験した。01年に台湾・兄弟から入り。以降、ダイエーから世界5か国でプレーし、07年に現役引退。10年から野球スクール「ルーツベースボールアカデミー」(http://rootsba.com)代表を務める。

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