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プロ野球

黒木優太(立正大/オリックスドラフト2位指名)反骨心を携え夢の舞台へ

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黒木優太(くろき・ゆうた)
生年月日:1994年8月16日
出身地: 神奈川県横浜市
球歴:ブラックシャーク(軟式)→日吉台中(軟式)→橘学苑高→立正大→オリックス
身長・体重(ポジション):178cm・78kg(投手/右投左打)
最高球速:153km/h
球種:ストレート、スライダー、縦スライダー、カーブ、カットボール、フォーク、チェンジアップ
好きな言葉:正しき者は強くあれ

★表舞台とは無縁

 まだ遊撃手をしていた頃、「野球でメシを食える選手になれる」と橘学苑高・石黒滉二監督から不意に声をかけられた黒木は「何を言っているんだろう?」と思ったという。
 だがそれから数年後、黒木は石黒監督の言葉を現実にした。
 高校2年秋から投手に転向。そこから1年で最速146km/hまで到達すると、プロ注目の存在となったが、結果は指名漏れ。
「(調査書が来た球団も少なく)行けたらラッキーくらいに思っていたので、すぐ切り替えることができました。でも、やっぱり悔しくて。この気持ちは絶対忘れないようにしています」と話す。

 立正大進学後は、1年秋から登板機会を掴むと、エースとしてチームを引っ張ってきた。そして4年間で46試合に登板し、16勝を挙げた。だが、1部昇格はならず、すべてのシーズンを東都大学2部リーグで過ごした。
 黒木にこの4年間の成長について聞くと「良い思いをチームも僕個人もできませんでした。ずっと2部で悔しい思いをして、反骨心がすごくありました。負けず嫌いになりましたね」と力を込めた。
「1部の大学だけが注目され、2部はまったく注目されないので、1部の選手たちとすれ違っても、見下されている感さえありました。“今に見とけよ”という気持ちでした」

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★ライバルたちからの刺激

 最も苦しかったシーズンは3年の春季リーグを挙げる。
 黒木自身は、チーム12試合中8試合64回3分の1を投げるフル回転で、防御率1.40は東洋大・原樹理投手(ヤクルト)に次ぐリーグ2位。だが投打が噛み合わず、自身は3勝4敗でチームは5位に終わった。勝てないもどかしさをエースとして人一倍感じた。
 一方で、原や青山学院大・吉田正尚外野手(オリックス)の存在が、大きな刺激になった。
「自分より明らかに上の選手がいて、絶対に負けたくないと思ったからこそ、絶対満足することはなかった。だから成長できたのかなと思います」
 また、刺激を受けたライバルに、黒木はためらいなく話を聞きに行った。原には東都選抜で共にした際に試合前のケアについて意識を聞いた。こうしたどん欲な姿勢も成長には欠かすことはできなかっただろう。

 来季、そして将来的な目標を聞きたいところだが、目標は作らないことにしているのだという。
「それを達成したら、満足してしまいそうなんです。数値で成長は見られるかもしれないですが、それ以外にもっと目を向けなければいけない部分があるんじゃないかなって」
 また、どんなプロ野球選手になりたいかと聞くと「小学校の頃に書いた自分の卒業文集を読んだ人が喜んでくれる選手になりたいです」と独特の表現をした。そこに書いた中身は“観ている人を喜ばせる選手になりたい”ということだという。
 プロの世界に飛び込むにあたっては、楽しみな気持ちの方が不安より強いかもしれないと野球少年のような眼差しだ。
「“一軍のマウンドに立てたら、どんな景色なんだろう。やっとみんなと同じところに立てる。”今はそんな気持ちです」
 日の目を浴びづらい2部リーグで地道に力をつけてきた本格派右腕が、羨ましく見つめるだけだった夢の舞台へ、ついに歩み始めた。

文・写真=高木遊