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2021.10.06 12:20
小さな村から育った走攻守三拍子揃う外野手 丸山和郁(明治大)【時は来た!ドラフト指名を待つ男たち 大学生編】
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群馬県倉渕村(2006年に高崎市に吸収合併)で3兄弟の末っ子として生まれ、物心つく頃には父とキャッチボールをしていた。
人口5000人に満たない小さな村のチーム(倉渕ファイターズ)で小学3年生からエースを務めた。ただそこでの登板過多がたたり左肘を手術することに。そのため中学時代は硬式クラブではなく、全校生徒約90人、野球部員12人の倉渕中学の軟式野球部に所属していた。投手を務めるだけでなく、左利きながら捕手・遊撃手も務め「勝った記憶はありません」と振り返るほど文字通りの孤軍奮闘をしていた。
それでも高崎西選抜に選出されたことで前橋育英との縁が生まれた。同校では荒井直樹監督のもと人間的にも技術的にも成長を遂げて甲子園にも3回出場。3年春には投手ながら一番打者として先発し、最後の夏には3試合で8盗塁の大会最多タイ記録を樹立するなど大舞台で躍動した。
その活躍が認められ、侍ジャパンU-18代表に選出。U-18W杯にも出場したが「あまり思い出したくないです」と苦笑いして振り返るほどの悔しさを味わった。
丸山が木製バットに苦労する中で、同級生の安田尚憲(現ロッテ)らの打球の角度に圧倒された。初めて県外選手とプレーし、不慣れな海外開催など様々なものが作用し、走攻守で持ち味を発揮できなかった。
当初は高校卒業後のプロ入りも視野に入れていたが将来的なことも考え、荒井監督の助言に従い明治大へ。右肩の脱臼による手術で1年時こそリーグ戦未出場も、2年春には外野手として走攻守で活躍し日本一に貢献した。さらに侍ジャパン大学代表にも選出され、日米大学野球でMLB予備軍とも言える米国大学代表と戦った。その後も何度か脱臼に苦しんだが、完全に回復し主将も務めた今春は打率.357で初のベストナインを獲得した。
秋も俊足を生かしてダイヤモンドを駆け回り、「明治のセンターにヒットゾーンはない」と言っても過言ではないほどの広い守備範囲でチームを支えている。
また、前橋育英高校時代には左腕から最速144キロを投じていた強肩も持ち味で、次のステージでも大きな武器になりそうだ。
イチローに憧れたかつての自身を照らし合わせ「子供たちから、丸山のようになりたいと憧れる選手になりたいです」と大きな夢を描いて、白球を追いかけている。
文・写真=高木遊